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これまでの沢山の経験や知見から、美波町の外から一つ違うレイヤーでカレッタに関わっている四国水族館館長松沢さん

松沢 慶将

始まりは宇宙!?南極?? 様々な巡り合わせや出来事を経て辿り着いたウミガメとの共存

新潟県新潟市出身の松沢慶将さん(54)。現在は、香川県にある四国水族館の館長を務められています。宇宙や南極に憧れがあり、幼い頃から研究職に就くイメージを持っていたそうで、大学時代には、農学部にて水産学の勉強をしながら、チャンスがあれば南極へ行くことを狙っていたそうです。人とは違うものを見て、新しい場所に行ってみたいと考えていた人物がなぜ今、四国水族館の館長になりカレッタリニューアルに関わっているのかお話を聞いてきました。

南極を目指す。四国水族館館長に繋がるウミガメとの出会い、巡り合わせの中で世界観に引き込まれていく

研究職に就きたかったという松沢さん。小学生の頃から、色々なことを見て聞いて考えることが好きだったといいます。他の人とは違う生き方をしたいなという考えがあったそうで小さい頃は、映画等の影響もあり宇宙に興味があったそうです。その後、趣味も徐々に変化していき、南極を目指すために研究者になろうと考えるようになったとのこと。

地元新潟市の高校を卒業して京都の大学に入ってからは、南極の夢を諦めきれずに南極に関わりのある研究室に属していたそうです。当時は、国立共同研究所との共同研究で南極のアザラシやペンギンにセンサーを付け、「海の中でどれぐらいの深さまで潜っているのか?泳ぐスピードはどれぐらいなのか?周辺の水温は?」と、その生態を調べるという研究を行っていたそうです。国立共同研究所の観測船が南極を往復する過程で、夏隊と越冬隊に分かれて年に2回船を出すそうなのですが、センサーを使用するのは夏隊が滞在する12月から3月までの3ヶ月間。それ以外、センサーを使用する機会はなかったそうです。

当時、センサーはとても貴重なもので数も多くなく、せっかくだから使っていない期間、日本で他の生物の生態を調べるのに使ってみてはどうか?という話になったのだとか。センサーは取り付けたら回収しなければいけないし、ある程度場所を限定して行わなければなりません。さらに、当時のセンサーはしっかりしたもので、小さいサイズではなかったので、センサーのせいで生態系を崩さない生物がいいなという話し合いが行われたそうです。その時に白羽の矢が立ったのがウミガメだったそうで、そこで初めて松沢さんがウミガメのことを調べることになったそうです。

その接点をキッカケにウミガメに魅了され、大学院卒業後は当時ウミガメの研究で先進的だったアメリカのフロリダへの留学、屋久島うみがめ館理事、国際ウミガメ学会会長などを歴任し、「他の水族館の良い所を邪魔しない」をコンセプトに四国水族館の立ち上げに関わり、全国の水族館への橋渡しになるようにと、様々な活動をされているようです。

カレッタとの関わりの中で、これまでの知見からより良い空間にするために情報を吟味しカタチにしていく

カレッタのリニューアルに関しては監修を担当しており、学芸員の田中さんや役場の方々、乃村工藝社さんらから出された案に関して、これまでの知識を活かして、より良い展示になるように意見交換を行っているようです。例えば、出てきた情報から展示の内容はこういった順番がいいのではないか?展示する場所は、展示する空間は?と、より良い情報が伝わるように様々な意見を出し合い、話し合いを行っています。

ウミガメの進化をテーマにした空間では、これまでのような、一般的な情報をパネルに貼り付けただけの空間ではなく、進化の過程を目で追いながら知識を得ることができたり、実際にその空間に本物のウミガメを展示して、今目の前にある情報と実物とを見比べ、より情報が入っていきやすいような仕組み作りも検討されているようです。

さらに、他にもウミガメの専門家の意見等を取り入れながら、難しい文言等をどう噛み砕いてわかりやすいものにするかなど、出来上がった展示を見ただけではわからない、縁の下の力持ちのような仕事なんだなと感じました。

カレッタのリニューアルで楽しみにしている部分もあるそうで、
「私のウミガメ帰っておいで」をテーマに、ゲーム感覚でウミガメが自然界で生き残るのがいかに大変なのかということを、見て体験して学べる設備、企画なども準備しているそうです。また、この半世紀の間に少しづつわかってきた、ウミガメの数が減ってきている原因を提示し、その情報に基づいた関連イベントを行い、その過程を再現するなど、もっとウミガメの事を知ってもらうべく様々な意見交換が行われているようでした。

そして、「今までウミガメに対して持っていたイメージより分かりやすい情報を展示できるようになってくると思う。どういうことかと言うと、例えば、これまではウミガメの体内からプラスチックが出てきた。というような、大まかな内容しか展示できなかったのに対して、これからは「なぜプラスチックなのか?」「なぜウミガメは減ってきているのか?」「どうすればウミガメが再び上陸するようになるのか?」など、これまでよりも一歩踏み込んだ深い情報を展示できるようになるだろう。これまであやふやだった部分をこの半世紀の間に出てきたデータを元に、これまで以上に具体的に開示することが可能になった。

これまでの自分自身の経験と知識が上手いことリンクし、今後、この歴史ある町、美波町でどんな風にウミガメ達と関わっていくのかが楽しみかな」と話されていました。

美波町にあるカレッタの意味を噛み砕いて分かりやすく伝える。その理由とは

世界的に見れば、アメリカのフロリダ大学アーチー・カーという人物が、最初にウミガメの調査を始めたとされていますが、実際にはそのもっと前から、当時、美波町の中学校の教員をしていた近藤康男先生らが生徒達と始めたウミガメの研究が行われていました。
「近年、ウミガメの産卵はとても低くなっています。昔はしょっちゅう上陸していたウミガメたちの数が減ってきているのです。そのことを踏まえても、世界に先駆けて、中学生がウミガメの保護活動を行っていたということはすごいことだ。」と話す松沢さん。

現在、カレッタで飼育しているウミガメの浜太郎は、生まれてからの年齢がちゃんと記録に残っていて、今のところ年齢がしっかりとわかっている中では世界最高齢だそうです。これはとても貴重な歴史であり、その歴史はお金を出しても買えるものではないでしょう。それほどこのカレッタという場所には価値があるそうです。
さらに、

「日和佐という町は、昭和の初期にはウミガメの産卵を観光の一環に取り入れており、これは現在でいう、エコツーリズム。時代の先駆けをしているすごい先進的な地域だと思います。その理由の一つとして、砂浜と人の暮らしが近いということがあります。普段、ウミガメの産卵はこんなにも人の生活の近くでは行われません。にもかかわらず、産卵地である大浜海岸は、日和佐八幡神社の鎮守の森を隔てたすぐの場所にあり、かなり近い距離でウミガメと人が共存していることになりますこの環境は、非常に珍しいです。」

と、松沢さんは今あるこの環境が非常に貴重だと言うことを熱意を持って話してくださいました。

松沢さんが思うカレッタのあり方と、「原点回帰」という考え方

カレッタはどういう存在であって欲しいですか?という質問に対しては、「美波町に多くの人が訪れる、その拠点になってほしいですね。一度きりではなく「回帰する場所」。人もウミガメも、繰り返し帰ってきたくなるような町にしていきたい。
そのためには、カレッタが情報発信の拠点となる必要があると考えています。

例えば、一旦減少してしまったウミガメの頭数が、今ある最新の科学や知見に基づいた方法で保全することによって、その数を回復させることが可能だと実証することができれば、それこそがカレッタの存在価値になると思っています。
さらにはその事実を周知し、地域の方々の理解と協力を得られれば、美波町は、今以上に人とウミガメとが共存しやすい場所になるのだろうなと考えています。

”なぜウミガメが減少してしまったのか?”

これまで謎の部分も多くあったウミガメの生態について、長い年月をかけて解明されてきた最新のデータを元に、これまでの展示パネルの内容も一新することによって、今後来館されるお客さまにも、新たな発見にわくわくしたり、実際にウミガメを間近で観察する楽しさを知ってもらいたい。そうして興味を持ってもらうことで、またカレッタに行きたいと思ってもらえるような、そんな「回帰する場所」を作っていければいいなと思います。
と、目を輝かせながら語る松沢さんに、研究への情熱と、昔から変わらない、新しいことへ挑戦し続ける姿勢が垣間見えました。

これまでたくさんの人々に支えられてきたカレッタが、また新たな人々との関わりを通して、リニューアル後どのような存在になるのでしょうか?
いよいよ工事が始まったカレッタ!これからは、実際に目に見える変化も感じながら、完成を待つ楽しみが増えましたね!

 

 

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