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世界初のうみがめ博物館!“カレッタ”が誕生するキッカケとなった物語

近藤 康男

美波町志和岐地区で生まれ。
1950年、教員を務めていた日和佐中学校で生徒とウミガメの研究を始め、保護活動の礎を築いた。

大変な時代背景の中、様々な試行錯誤の末に独自の研究方法でウミガメの飼育を行っていたことを、とても懐かしそうにハッキリと鮮明に語る近藤さん。

きっかけとなったソフトボール


現在は徳島県阿南市で生活している近藤康男さん(94)。
当時は、日和佐中学校で理科の教員をしていたそうです。記録によると、1950年6月18日、休み時間に生徒が大浜海岸でソフトボールをしていたそうです。ある生徒が打った打球が大きくレフト方向に外れて現在カレッタがある場所の付近にボールが飛んで行きました。落ちた先にたまたま、大きく掘られた穴とウミガメの死骸、そして野良犬がいたそうです。
「当時、戦後ということもあり皆が食糧難でした。どこかの誰かが、食用にウミガメを捕獲し肉を削ぎ落とし食料にし、大袈裟な事になってはいけないからと穴を掘り残りの骨や甲羅などを埋めてその場を立ち去った。そこに野良犬が匂いを嗅ぎつけて掘り起こしたんじゃないか?」
と話す近藤さん。
徳島県美波町志和岐出身の近藤さんは、小さな漁師町ということもあり昔からウミガメは海の神様、神聖なものとして生活していました。ウミガメには特別な思いがあり、そのウミガメの肉を削ぎ穴に埋めるという行為に関して憤りを感じたそうです。
「こんな悪いことが二度と起きないように、自分たちでウミガメの事をもっと調べて世の中の人にウミガメの事を知ってもらい、同じような事が起きないようにしたい」
という経緯からウミガメの研究が始まったと言います。

ウミガメ研究とカレッタの始まり


中学生のクラブ活動として、生徒と一緒にウミガメの研究を始めた近藤さん。まず最初に行ったことが、ウミガメの孵化。「ウミガメの卵は一体どのような環境で孵化するのだろうか?鶏だと親鳥が卵を温めて孵化するが、ウミガメの場合親ウミガメはそばにおらず卵自身の力で孵化しなければいけないから工夫が必要だった」と話す。当時は今の様にインターネットがある訳でも資料が揃っているわけでもありません。試行錯誤し答えを導き出さなければいけなかったそうです。そこでまず、ウミガメの卵の環境を浜辺に似せて作る研究を行ったと言います。日光がよく当たる場所、まばらに当たる場所、全く当たらない場所にそれぞれ卵を設置し、海の砂を持ってきて浜辺に似た環境を作り経過を観察しました。すると、日光が当たっていた2箇所は無事に孵化しましたが、日の全く当たらない箇所に設置した卵は孵化せずにそのまま腐ってしまったそうです。
次に調べたのが、「孵化したウミガメの赤ちゃんは何を食べるのか?」についてです。その問題が解決すると、次は「どのような環境がウミガメ飼育にはいいのか?」。様々な試行錯誤の末、ウミガメを飼育できる環境を整えていったと言います。しかし、時代は戦後。中学生の教育すらまともに行える状況ではなかった当時、ウミガメの研究に使えるお金はありませんでした。あるもので工夫しながら徐々に徐々に研究を進めていったそうです。周りの教員の方々の協力もありウミガメ達は順調に大きくなっていきました。
ウミガメの研究を始めて数年が経った頃、ウミガメのサイズも大きくなり数も増え、今ある環境ではこれ以上飼育するのが難しくなりました。仕方がないので、ウミガメを海へ戻そうという案があがった時、その話を耳にした当時の町長が、町でウミガメのプールを作り、そこで育てようと提案したそうです。
その頃、ウミガメの研究をしていることが口伝いに広がり、遠足などで大浜海岸を訪れていた小中学生や観光客が、大浜で遊んだ後にウミガメの飼育を見る為、中学校まで足を運ぶようになったいたようです。
そういった背景もあり、このウミガメの研究を町の名物にしようとウミガメ専用のプールが作られました。後のカレッタ誕生のキッカケとなる出来事でした。

思い出づくりと歴史的価値

当時の町長・町さんの後押しもあり誕生した飼育プール。様々な人がウミガメを見に訪れたと話します。徳島県の職員、衆議委員の副議長、皇族の方も訪れ、更に話は広がりニュースや雑誌の取材も沢山あったそうです。

そうこうしている間に、近藤さんは仕事の関係で日和佐を離れることになり、ウミガメに触れることも少なくなったと言います。
それから数年後、当時の教え子達と集まったお酒の席で
「当時のウミガメの研究を僕たちの思い出作りも兼ねて本にして残しません?お金は僕たちが協力して集めるので是非作りましょう」
と言う話があがったようです。教え子達の熱意に刺激を受け、当時の資料を読み返しながら自身で本を制作しました。

当時、ウミガメ研究の第一人者であった近藤さんは、日和佐で行われるウミガメの国際会議に登壇者として出席していました。その際、ウミガメの研究等を行っていた京都大学の生徒から「こちらの本のコピーは持っているのですが、もし本があればお譲りいただけないでしょうか?」という丁寧な申し出があったと言います。その生徒へ本を一冊譲ると、生徒が教授に本を紹介したそうです。すると「非常に良くできている」と評価され話が広がり「世界で初めてのウミガメの研究」と認識されるようになりました。

近藤さんは自分たちの思い出づくりの為に作った本だから学術的にそのような価値があるとは全く思っていなかったようで、当時はとても驚いたと話していました。

5本の柱とウミガメとの関わり


当時の事を、鮮明に語られる近藤さん。自分の人生にここまでウミガメが関わるとは思っていなかったそうです。沢山の人に協力してもらい、精神的にも支えられ非常に貴重な経験をできたと語る近藤さんは、今後は5本の柱を元に活動を行って欲しいと力強く話していました。

  • 飼育施設の整備
  • 人工繁殖の技術
  • 外国の観光客に伝える国際的な情報
  • 過去の先進的な活動と歴史を後世に伝える
  • 地域の学生や研究者などの連携

沢山の経験をしてきた近藤さんが話す5本の柱には近藤さんの想いが込められていて、今後の活動に期待している様でした。深い歴史と様々な人々の活動に関わりのある日和佐うみがめ博物館カレッタ、今後どのような活動が行われるのか今のうちから楽しみです。

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